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大阪家庭裁判所 昭和49年(家)611号 審判 1977年3月15日

申立人 石田茂夫(仮名) 外一名

主文

被相続人野上清一の別紙相続財産目録(略)記載の相続財産のうち申立人石田茂夫に対して現金一、〇〇〇万円を分与する。

申立人橋本省三の申立を却下する。

理由

第一申立の実情

1  被相続人野上清一は大正三年六月二一日、父野上康治、母トクヨの長男として出生し、昭和四七年九月一日○○○○大学附属病院において死亡したが、被相続人には相続人が存しないものであるところ、申立人石田茂夫は昭和一七年に被相続人と知り合い、親しく交際するようになつて以来、被相続人が病気のため入院すれば、家族ぐるみでその看病に力をつくし、また、被相続人が家屋を買い入れる際にはその不足額を貸与するなど親身も及ばぬ交際をして来たものである。被相続人はいわゆる×××××を本職としていたため、世間並の交際をする者もない中で、申立人石田の一家のみが被相続人の職を嫌わず交際を続けて来たもので、ことに昭和四一年三月、被相続人が肝硬変を患つて後は、入院中はもとより、退院後は同申立人宅に被相続人を引取つて世話をするなど、被相続人に対する看護の努力は並々ならぬものであつた。更に、被相続人の死亡後、葬儀、相続財産管理人が選任されるまでの間の遺産の管理、死後の法要、命日の墓参など、同申立人は欠かさず行つているもので、申立人は被相続人の特別縁故者に該るものというべきである。

2  また、申立人橋本省三は被相続人とはいとこの間柄であるところ、被相続人が若くして両親を亡くして後は、昭和二三年頃まで同申立人方で被相続人の世話をして来たもので、同申立人らと兄弟同様に生活していた。以上のとおり、同申立人は被相続人と最も近い親族であり、かつ、長年生活を共にしたことのある縁者として、更に、今後は被相続人のため祭祀も行いたいと考えているので、被相続人の特別縁故者に該るものというべきである。

3  以上のとおり、申立人両名は被相続人と特別縁故関係があるので、被相続人の遺産の分与を求めて本件申立に及んだ。

第二当裁判所の判断

一1  当庁昭和四七年(家)第二七四七号相続財産管理人選任申立事件、同昭和四八年(家)第一三一七号相続人捜索公告申立事件の各記録によると、次の事実が認められる。

被相続人野上清一は大正三年六月二一日、野上康治、トクヨの長男として、大阪市△区で出生したが、終生婚姻しなかつたので妻も子もなかつた。被相続人の父野上康治は大正七年二月二〇日に、母トクヨは昭和九年一二月五日に、いずれも死亡し、また、被相続人には兄弟姉妹はなかつた。被相続人は昭和四七年九月一日に死亡したが、戸籍上直系卑属も尊属も兄弟姉妹もなく、その他に相続人のあることが明らかでなかつた。そこで本件申立人である石田茂夫において、昭和四七年一一月二日、当裁判所に被相続人の相続財産管理人選任の申立てをし(当庁昭和四七年(家)第二七四七号)、当裁判所はその申立を相当と認め、同年一二月二二日、弁護士加藤正次を相続財産管理人に選任し、昭和四八年一月一九日、その旨を官報に公告した。しかし、その公告後においても相続人のあることが明らかにならなかつたので、同管理人は相続債権者、受遺者への請求申出の催告を同年三月二日付の官報に公告したが、なお、相続人のあることが明らかにならなかつた。そこで、同管理人は同年五月一九日、当裁判所に相続人捜索公告の申立てをした(当庁昭和四八年(家)第一三一七号)ので、当裁判所は同年六月四日付官報に、同年一二月一五日を期間満了日として相続権主張の催告をしたが、その間にも何人からも何の申出もなかつた。そこで、本件申立人両名はいずれも上記期間満了後三か月以内である昭和四九年二月八日(申立人石田茂夫)および同年三月一二日(申立人橋本省三)に、被相続人の相続財産の分与を求めて本件申立に及んだ。

2  なお、上記事実によれば、相続財産管理人選任の公告(民法九五二条二項による)がされたのは昭和四八年一月一九日(官報)であり、債権者及び受遺者への請求申出の催告の公告(同法九五七条一項による)を上記管理人がしたのが同年三月二日であつて、その期間は二ヵ月に満たないものであることが認められ、その点に関しては手続的に明らかに瑕疵が存するものといわねばならない。しかしながら、上記の瑕疵が存するとはいえ、本件においても相続財産管理人選任の公告から相続人捜索公告の期間満了まで法律上最低限必要とされる一〇ヵ月を超える期間を経過し、この間、何人からも何の申出もなかつたこと、相続人捜索公告の期間満了後今日に至るまでの三年余りの間にも本件申立人以外の者からは何の申出もないこと、更に、仮に本件一連の手続の初期の段階において、手続上の瑕疵が存するとしても、本件申立人両名の権利関係に対して特段の影響を及ぼすものではないこと等の事情を総合勘案すると、初期の瑕疵をとらえて、以後の手続の全部の効力をなしとするのは妥当ではないというべきである。そこで、本件申立人らの申立については適法なものとして、以下、審理することとする。

二  当庁昭和四七年(家)第二七四七号相続財産管理人選任申立事件、同昭和五一年(家)第二〇〇二号相続財産処分許可申立事件、同昭和五二年(家)第三六六号相続財産管理人報酬付与申立事件の各記録に、本件各記録中の諸資料および家庭裁判所調査官大久保順子の調査の結果を総合すると、次の事実が認められる。

1  被相続人は大正三年六月二一日、本籍地の大阪市○区○○○町(現、×××区××町)で出生したが、△の小売商を営んでいた被相続人の父康治は被相続人の満三歳時に、母トクヨは被相続人の満二〇歳時にいずれも死亡し、しかも、被相続人には兄弟姉妹がなかつたため、トクヨの死後は、いとこの橋本米吉、省三兄弟(被相続人の父康治の兄一郎の子)を時折訪れる以外には親類、縁者との交際もほとんどせず、本籍地で一人で生活をする状態となつた。そして、その頃から○○区周辺で「野上秋子」なる芸名の○○となつて、生計を立てるようになり、○○としての暮しは戦後まで継続した。そのため、世間並に扱われることが少なかつたのか、被相続人は一人でひつそりと暮し、コツコツと蓄財することだけを唯一の楽しみとしていた。戦後被相続人は病気がちとなり、入、退院をくり返すようになつたため、老後のことを考えて、昭和二三年頃に○○区○○町に存する家屋を購入したのを手初めとして、以後、これを元手に次第に大きな不動産に買い替えて行つて、昭和三六年には同区××××にアパートを所有するに至つたが、昭和四四年には更に上記アパートの売却金を元手として別紙相続財産目録(略)一の土地を購入し(所有権移転登記は昭和四五年二月一〇日)、同地上に同目録二のマンションを建築し(保存登記は同年三月一〇日)被相続人にとつて長年の夢であつたマンション経営者となると共に、自らも同マンションの一室に居を定め、マンションの管理に当るようになつた。しかし、その頃から、被相続人の身体状況は従前にも増して悪化の一途をたどり、遂に昭和四七年八月三一日夕刻、被相続人は救急車で○○○○大学附属病院に運び込まれたが、肝硬変内臓破裂のため、回復の見込なく、それから数時間後の九月一日午前一時五分、同病院において死亡するに至つた。

2  被相続人の死亡時の相続財産は別紙相続財産目録(略)一ないし四であつたが、その後、現在までに預金関係、信託関係については、その利息分の増加がある外、同目録二のマンションからの賃料収入があり、同マンション経営に伴なう昭和五二年二月一〇日現在の収支残高(賃料収入から、同マンションからの退去者への保証金返還、修理、補修等に要した費用を差引いたもの)は同目録五のとおりである(但し、上記マンションの賃料収入のうちから、墓碑建立費一五五万七、二〇〇円(昭和五一年八月六日、当裁判所の許可審判による)が差引かれている。)。

なお、以上の相続財産のうちから、当裁判所は昭和五二年二月一五日相続財産管理人に報酬として金五〇〇万円を付与する旨の審判をした。

3  ところで、申立人石田茂夫(以下、本項においては申立人とのみ称する)および妻ミツは昭和一一年頃から、大阪市○○区○○○○において、カフェ「×××」を経営していたが、昭和一七年頃から同店に客としてしばしば来るようになつた被相続人(上記のとおり、芸名「秋子」と称していた)と知り合つて以来、親しく交際するようになつた。そして、被相続人は申立人夫婦が、上記カフェを廃業してからも、申立人方を時折訪れるようになり、上記のとおり交際範囲の狭い被相続人にとつて申立人夫婦は唯一の頼りになる相談相手となつて行つた。更に昭和二二年頃、被相続人が病気のため入院した際には、申立人らの外には見舞う者もなかつたので、申立人の妻ミツが看病に努めたことがあつて、被相続人と申立人夫婦とは、一層親密に交際するようになり、その後、被相続人が不動産を次次に買い替えて行つたときには、その都度、申立人が必ず被相続人の相談相手となつていた。申立人と被相続人とのこうした親しい交際が続くうち、被相続人は肝硬変となり、昭和四一年三月から同年一一月まで×××病院および○○○○大学附属病院で入院生活を送つたが、この間、被相続人はしばしば危篤状態に陥る程重症であつたので、申立人夫婦は被相続人の看護に努めると共に、退院後の被相続人の健康状態を気遺つて、上記病院を退院すると同時に被相続人を申立人方に引取り、昭和四四年頃まで、申立人夫婦において被相続人の生活一切の世話をした。その後、被相続人は一旦はマンションの経営をするまでに健康を回復したが、結局、上記日時に死亡するに至つた。被相続人の死後、申立人は被相続人の遺体解剖に立会い、被相続人の葬儀一切をとり行い、死後法要等を欠かさず、更に相続財産管理人が選任されるまで、事実上、被相続人の相続財産の管理に当つていた。

4  一方、申立人橋本省三(以下、本項においては申立人とのみ称する)は被相続人とはいとこの間柄であるところ、戦前は被相続人が申立人の兄橋本米吉と親しく時折同人を訪ねて来ていたので、それなりの交際はしていたが、その際にも被相続人の生活状態等については何も知らない状態であつた。そして、戦後は米吉が亡くなつた昭和三八年頃までわずかの回数、申立人および米吉らの許を訪れたことはあるが、それ以後はほとんど被相続人とは交際がなかつた。

三  以上の事実によれば、申立人石田茂夫は民法九五八条の三にいう「被相続人の療養看護に努めた者」に該当することは明らかであるが、申立人橋本省三については、「療養看護に努めた者」あるいは「被相続人と生計を同じくした者」に該当しないことはもとより、「その他被相続人と特別の縁故があつた者」にも該当しないというべきである。けだし、「その他被相続人と特別の縁故があつた者」とは、同法同条の三に例示的に掲げられた「療養看護に努めた」ことまたは「生計を同じくしていた」ことと同視し得る程度に密度の濃い具体的実質的な関係であることを必要とするものであつて、単なる血縁の存在のみでは特別縁故があるとは言えないものと解すべきところ、上記認定の事実関係による申立人橋本省三と被相続人との関係は、いとこ同志の交際としてはむしろ、疎遠ともいえる程度の交際しかしていなかつたというべきだからである。もつとも、同申立人は上記各資料によれば今後は被相続人の法要に努めたいと述べていることが認められるが、単なる死後の縁故のみでは、特別縁故があるとは認められない。

四  そこで、申立人石田茂夫に対しては特別縁故者として、被相続人の相続財産を分与すべきところ、長年月にわたつて妻ミツと共に被相続人の療養看護に努めて来たこと、折にふれて被相続人のよき相談相手となつて来たこと、死後の法要も欠かさないこと等を総合勘案して、現金一、〇〇〇万円を分与するのが相当である。

五  よつて、申立人石田茂夫に対しては上記のとおり被相続人の相続財産を分与することとし、申立人橋本省三の申立は相当でないのでこれを却下することとして、相続財産管理人加藤正次の意見を聴いた上、主文のとおり審判する。

(家事審判官 佐野久美子)

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